私は、今は、英検1級とTOEIC975点を持ち、毎日1時間位ネイティブと話して、英語コーチとして、クライアント様のサポートをさせていただいています。
でも、30歳の時は、全く英語が話せませんでした。
どのくらいできなかったかというと、パーティでネイティブに話しかけられた時に”I can’t speak English…”と言うのがやっとで、何かでschoolと英語で書かなければいけなかった時、スペルが思いつきませんでした。
それくらい、出来なかったんです😅
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大学は、他の教科が苦手だから、という消極的な理由で英文科を選びました。
しかし、英語ができたらいいな、という憧れはありました。
推薦でその大学の英文科に決まった時、友人から「その大学の英文科はいいよね️ 実践的な英語を教えてくれるから、お姉ちゃんのお友達も、そこを卒業して英語しゃべれるようになったよ️」と言われ、行けばできるようになるのかなと思いました。
しかし、現実はそう甘くはなく。
大学に入って、サークルやバイトで忙しくなった私は、すっかり授業についていけなくなりました。
環境だけでは、英語を話せるようにはなりません。
同じ大学の英文科にいても、英語のサークルに入ったり、留学したりしていた人もいましたが、積極的に英語を使わなかった私は、英文科なのに英語が苦手なまま。
英語を武器に就職することはとてもできないと思い、経済学部の授業をとっていました😅
将来は、自分の得意な分野で、人に喜ばれる仕事がしたい。漠然とそう思ったものの、英語のスペシャリストには絶対になれないと思いました。
そこで、まずは拘束時間が少なそうな公務員になり、社会人になってからも「得意分野探しの旅」は続きました。
司法書士の勉強をしたり、シナリオライターのスクールに通ったり、カラーセラピストやオーストラリアンフラワーだったかなの勉強。
いま思えば、この遠まわりの時間を英語にあてていたら️と思うのですが、英語だけは、一生かかってもしゃべれるようにならない気がしていたのです😅
その後、アナウンスアカデミーに通い、ブライダルMCの仕事を知り、自分が仕事にしたいのはこれだ️と思いました。
結婚をして東京に引っ越したのをきっかけに公務員をやめ、ブライダルMCスクールに入ってデビューしました。
仕事はとても楽しく、ゆくゆくはウエディングプランナーの勉強をして、この道を極めたい️と思いました。
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しかし、主人がアメリカに転勤することになり、ついてきてほしい、と言われ、泣く泣くアメリカに引っ越すことになりました。
やっと自分の天職と思えるものに出会えて、これからプロとして経験を積んでいきたいと思ったのに、アメリカに数年住んだら、単なる空白の期間になります。
それが、ものすごく嫌でした。
もし私が英語ができたら、アメリカで何かブライダルの仕事をすることができ、日本に帰国した時に、業界に様々なアイディアを持って帰ることもできます。
主人の駐在についていく期間は、空白の期間になるどころか、日本にいる時間の何倍も濃くすることができる。
なのに、英語ができないという理由だけで、それは諦めなければいけない!英文科にまで行かせてもらったのに、英語から逃げていた自分を激しく恨みました。
のちに、英語ができるようになりたいと思う人を支援したいと思った理由は、ここにあります。
英語と全く関係のない生活をしていても「英語ができたらなぁ。。」と思うことは、人生で何回かあるのではないでしょうか。
英語が世界で一番使われている言葉である限り、それは避けられない。
英語ができたらチャンスが広がる、そのチャンスの前髪をがっしり掴むためには、語学の習得には時間がかかるので、1日でも早く始めた方がいいんです。
主人についてアメリカに行くと決めた時、「帰国したら絶対にバイリンガルMCになる」と決めました。30代という、一番ブライダルMCとして需要がある時期を数年無駄にするなら、英語でも司会ができる、という得意分野を作るしかなかったのです。
当時、コーチングという言葉も知らなかったのですが、今思えば、私はセルフコーチングをしていました。
自分で目標を定め、「絶対にこれは成し遂げなければいけない」と信じて、その目標にフォーカスしていました。
ここが、英文科に入っても英語を習得できなかった、大学生のときの私との大きな違いです。
当時は、具体的な目標もなく、英語が話せるようになるための行動もしていませんでしたが、このときは、具体的な目標を作ろうとしていました。
英語が話せるようになるって、どういう状態のことをいうんだろう?と考え、のちのちに比較するために、受けてみたTOEICは430点。
その当時の私にはTOEIC800点以上をとれたら、ペラペラになれるのではないか?と考え、「TOEIC800点以上とるまでは日本に戻らない」と心に決めました。
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しかし、アメリカで生活し始めてから、すぐに不安になりました。
主人の会社の奥様達がとても優しくしてくださり、週に何回もあってお話しする機会を作ってくださいました。
とてもありがたかったですが、せっかくアメリカに来たのに、日本語ばかり話す毎日…part2に続きます️‼️